どうも!荒木田です。
君と世界が終わる日に(キミセカ)の第一話が終わりましたね!
「ザ・ゾンビもの」って感じで、個人的にはメチャクチャ面白かったです。
ところで、このキミセカ第1話に出てきた主人公の間宮響(竹内涼真)を見ていて、

って感じたんです。
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『忍耐強く諦めの悪い』というセルフイメージ
主人公の間宮響(竹内涼真)なんですけど、自分で自分のことを『諦めが悪い』って言っていましたよね。
これを見ていて、『完全にセルフイメージだな~』って思ったんです。
セルフイメージって『自分で自分をどういう人間だと思っているか』というもので、多くの場合、セルフイメージ通りの人間になっていきます。
今回の例で言うと、主人公の間宮響は、自分のことを諦めが悪い人間だと思っていて、実際、忍耐強くて簡単には諦めない精神力を持っています。
私たちもセルフイメージの影響って強く受けていて、
『自分にはできる!』というセルフイメージがある人は、いま取り組んでいくことも成功させられる可能性が高まりますし、
逆に『自分なんかにはできない…』というセルフイメージを持っている人は、なかなか行動できずに成功が遠ざかってしまうこともあります。
実際、アメリカのスタンフォード大学で行われた『監獄実験』という有名な心理学の実験では、心身ともに健康な普通の人を看守役と囚人役に分けて、それぞれに役割を与えました。
その結果、看守役に選ばれた人たちは、どんどん看守らしい行動をとるようになり、最後には暴力的になっていくなどの様子が見られたそうです。
逆に、囚人役の人たちも、徐々に囚人らしい行動をとるように変化していったと言われています。
この実験の被験者に選ばれた人たちは、役割によってセルフイメージが書き換えられ、それぞれの役割に見合った行動をするようになったのかもしれません。
これはあくまでも心理学の実験ですが、これに近いことって、実は私たちの日常生活でも普通に起こっているんじゃないかと思います。
『上司』とか『部下』なども役に過ぎないと思うと楽になる
会社に行くと、『社長』とか『部長』とか『上司』とか『部下』とかいろいろな立場があると思います。
でも、これって先ほどの心理学の実験の『看守役』とか『囚人役』みたいなものなんじゃないかなって思うんです。
最初に入社した時は誰もが新人さんなので、『新人』とか『部下』という役を与えられます。
そのうち年功序列で上に上がっていくにつれて、『先輩』とか『上司』という役割に変わっていくんですよね。
こんな風に、自分の立場というのも、結局は『役』に過ぎないと思えば、ちょっと気持ちが楽になるんじゃないかなと思います。
仮に上司から何か言われても、
『上司の役割を与えられた人が何か言ってるな~』
くらいに心の中で思っておくと、多少何か言われてもダメージが軽減されるんです。
これ、私の実体験なので誰にでも当てはまるものじゃないかもしれないですけど、上司も自分も役割を演じているに過ぎないと思えば、けっこう気が楽になります。
『社畜』というセルフイメージの危険性
ところで、会社の中で『自分は社畜だ』というセルフイメージを持っている人がいるとしたら、これはけっこう危険なんじゃないかなと思います。
自分で自分のことを『社畜』だと思っていると、心理学の囚人役の人みたいに、自分がどんどん社畜みたいになっていくんですよね。
『社畜だから終電まで仕事して当たり前』とか
『社畜だからどんな指示や命令にも従う』みたいになっちゃうと、自分で自分を苦しめることになってしまいます。
そのまま続けていたら、自分の方がキミセカのゾンビみたいになってしまいます。
社畜って言葉だって、世の中の人が勝手に言いだしたことですし、そのセルフイメージを自分に植え付ける必要性なんて全くないんですよね。
そんなセルフイメージは捨ててしまって、『定時で帰って副業でガッツリ稼ぐ俺』みたいなセルフイメージを持っていたほうがずっと健全だと思います。
私も前は自分のことを社畜の一人だと思っていたんですが、こういう気持ちで仕事をしていると、無駄な仕事が無限に舞い込んできて、精神衛生上最悪だったんですよね。
それが心底嫌になってからは、会社の仕事は『会社ごっこ』だと思うことにして、空気なんか読まずに定時で帰り、帰宅後は副業ばっかりしていました。
というか、仕事中も隙あらばブログのキーワード選定やネタ探しとかしてるくらいです。
会社や上司は隙あらばこちらから搾取してこようとしてくるんですから、こちらも虎視眈々と隙あらばサボるくらいでちょうどいいんじゃないかと勝手に思っています。
もしも、会社の仕事や人間関係が辛くて辛くてしょうがないというときは、『ごっこ遊び』だと思って右から左へ受け流しちゃいましょう。